ジョー小泉のひとりごと 2020年7月


つんどく家の開き直り 「青い眼が見た幕末・明治」

 大学時代の同窓生のオンライン飲み会は2週間に1度の頻度で継続していて、持ち回りで何か演題を提供する。

 Kはいま役員待遇らしいが、現役時代、ドイツに5年半駐在したという。そのドイツ語習得法を披露したそうだが、その日の私は外で娘と会食していたので遅れた。「もう一度話してほしい」とも言えず、続きを聞いていたら、語学の天才、シュリーマンの「古代への情熱」(岩波文庫)のことを話し出した。

 そして、Kは「シュリーマン旅行記 清国 日本」の一部を朗読した。それが結構おもしろかった。

 その数日後、図書館に依頼を出していた「青い眼が見た幕末・明治」が入ったという通知があり、早速借り出しに行った。これは新刊書で、新聞の広告を見てすぐ申し込んだので、私が初めての貸し出しだといわれた。

 非常に興味深い本だが、著者が読者に対しサービス過剰(善意からだろうが)なような気がした。私としては、青い眼の旅行記のさわりを列挙しただけのような本を期待していたから。

 この本において、明治時代の海軍の脚気に対する処置で、森林太郎(鴎外)と高木兼寛の論争が起こった話が書いてある。他の本でも読んだが、高木の「白米原因説」が最終的には効果をおさめる。阿部昭の「白い航跡」は高木のことを書いているそうだ。一度、読んでみよう。

 私は「Chain Reading 連鎖式読書」と自分で呼んでいるが、本を読んだあと、それに触発され、関連書を読み進み、範囲あるいは深さが広がることをいう。

 最近、新刊の「ジョージ・オーウェル」(岩波新書)を読み終えたら、急にオーウェルを再読したくなった。われわれ団塊の世代の高校時代のリーダーの定番は、オーウェル、バートランド・ラッセル、サマセット・モーム、ハーバート・リードなどだった。

 特に「象を撃つ」をもう一度読みたくなり、書庫を探した。「動物農場」、「パリ・ロンドン放浪記」はあったが、岩波文庫の「オーウェル評論集」が見当たらない。つい最近まで、未読の棚の方に背文字が見えたのに・・・。

 本を整理しつつ、それを探していたら、「右であれ左であれわが祖国」(鶴見俊輔編)が出てきて、その中に「象を撃つ」が入っていた。

 比較的短いエッセイなのですぐ読み終えたが、「こんなストーリーだったかな」と思うほど後味が悪い。若い頃、好印象を持った本が、何十年もして再読するとまったく印象が変わっているということがあり得るだろうか?

 それがいま起こった。ボクシングの名勝負でも、貴重な映像が手に入り、見直してみると何か欠陥が目につき、折角の好印象が汚されることが過去にあった。「象を撃つ」でもそれに似たことが起こった。

 ひょっとすると・・・若い頃読んだのは原文だったのかもしれない。英文を理解して読了した達成感の方が強くて、よく内容を鑑賞していなかったのかもしれない。それとも、感受性が変容したのかも・・・。
(7−26−2020)


公園ギャラリーの書道水墨画展終わる

7月1日から14日、わが区の公園ギャラリーで書道水墨画の個展をした。
ご協力いただいた関係各位に感謝いたします。

これが2度目の個展で、初回は横浜馬車道の大津ギャラリーにおいてだった。
近所の人たちは横浜までが遠く、かつダイアモンドプリンセス号が停泊中だったため、来館者がなかった。

今回は事前告知を近くの知人のみ、できるだけ小さい範囲にしぼった。
私はギャラリーに常駐するわけではなく、朝と午後、各一度訪れるだけで、静かな個展だった。

午後、眼を休めるため、公園へ散歩に行き、毎日、しばらくわが拙作を眺める。
「ここの線をもう少し長く・・・」とか、自分の至らなさが目につき、反省材料になる。
「あのとき、こうしていれば・・・」という、いわば仮定法過去のような感情が起こる。

公園事務所の助言で、BGMを流すことになり、モーツアルトの「小夜曲」を選んだ(あまりモーツアルトが好きではないが、これはBGMには適していた)。

「またご利用ください」と公園のセンター長さんに温かい言葉をいただいた。
「次回は水墨画を主にして作品を集めますので、2,3年後、またどうぞ宜しくお願いします」と答えた。

水墨画の四君子(蘭、竹、梅、菊)を描き、隅に小さく讃(漢詩)を添える。
次回の個展を想うと、毎週、水墨画を習いに行くのがまた楽しみになってきた。
(7−25−2020)


つんどく家の開き直り 「明治百年の歴史」

 コロナ感染防止のための外出自粛から、蔵書の整理を始めた。わが蔵書の流れは次の通りだ。

2階の書斎の「未読の棚」から
2階の書斎の「既読の棚」へ
2階の客間、兼書道室の棚へ
1階の書庫へ
トランクルーム(車で15分)へ
そして、多分もう再読しないものは
品川のコンテナ倉庫(車で1時間)へ

 古いボクシング雑誌を整理し、年代の見出しを付けなおした。
一番古いのは大正15年の「拳闘界」で、これまでどれだけ多くののボクシング雑誌が出ては消えていったかを、「ボクシングビート」誌の「珍談奇談」のコラムに書いた(7月15日発売の号)。

 整理の際、雑誌1冊ごとに独立したカードにキーワードを書いた。これを繰れば、どの雑誌のどの号にその記事が載っているかが分かる。

 私が興味を持つ歴史的区分は、昭和22年から30年だ。戦後、団塊の世代として生まれ、ものごころつくまでの頃だ。

 確か、神戸の街にはまだ進駐軍の米兵が闊歩しており、人々は貧しく、米国人を見るとき、敗戦国民の卑屈さのようなものがあった。
まだ子供だから、その辺の印象は明瞭ではないのだが、いま想い出すと巷にはちょっと異様な雰囲気があった。
それが想い出の中の「戦後」だ。

 本の整理の途中、「朝日クロニクル 20世紀」第4巻、「日米開戦と破局」という写真集をめくり、通読した。
そこで思い出したのが、数年前、古書店で求めた「明治百年の歴史」(講談社 1968年刊)だ。

 根がつんどく屋だから、「面白そうだ。いつか読もう」と買って未読の棚に収めている本がかなりある。
そのなかのひとつが「明治百年の歴史」で、箱の中は2分冊になっている。

第1分冊 明治編
第2分冊 大正・昭和編
で、各350頁ほどあり、写真満載だ。

勝海舟、木戸孝允、山縣有朋、福沢諭吉、大隈重信などの写真があり、日清、日露戦争の戦場での写真もかなり載っている。

 頁を繰ってきて、1946年の東京裁判の頁に来たら、古い新聞が挟み込まれていた。朝日新聞、同年11月13日の号で、裁判の判決(絞首刑、終身禁固など)が1面に掲載されていた。

 多分、前の所有者が新聞を挟んでおいたのだろうが、遺族はこんな貴重な歴史的資料に気づかず古書店に引き取ってもらったのだろう。
それを今、私が読んでいる。

その古書の中の新聞に出遭ったのも、何かの縁だろう。
(7−14−2020)