漱石が龍之介を・・・

新聞の訃報欄をよく見る。
関口安義さんという芥川龍之介研究家が亡くなったという。
これまで全く存じ上げないが、その著書を読んでみたくなった。私自身、龍之介ファンだから。

早速、氏の著書のうち岩波新書「芥川龍之介」(1995年刊)を取り寄せ、読んでみた。龍之介の人生を俯瞰できて、これまで感じなかったポイントに気づいた。

龍之介を早世させた根本原因はどこにある?

夏目漱石が若き龍之介の「鼻」を激賞したことこそが、彼の後半生を悲劇に追い込んだ源(みなもと)ではないか。

「あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあったふざけていなくて自然そのままのおかしみがおっとり出ている所に上品な趣きがあります。材料が非常に新しいのが眼につきます。文章が容量を得てよく整っています。敬服しました」

漱石は和漢洋の教養のうち、漢(漢学私塾の二松學舍に通う)と洋(英国留学)にはたけていたが、それに比べて和の素養に欠けるところがあったのではないだろうか。だから、龍之介の「鼻」の題材をとった今昔物語集や宇治拾遺物語についての知識が欠けていたのではないか。

漱石のお墨付きもあって龍之介は時代の寵児となり、無理を重ね、天才作家を演じ続けた。結果的に、自己に課したノルマに彼は圧し潰された。

龍之介が早く世に出ず、英語教師を続けつつ作家活動をしていたら、あれほど早く摩耗し、燃え尽きなかっただろう。もっと骨太の生活者、そして実社会をより多く体験した作家になっていたかもしれない。

マスコミの寵児と祭り上げられ、その虚飾の富と栄光のため、龍之介は過度に書き続け、消耗していった。まるで木下順二の「夕鶴」のようにーー。

なぜ家族や朋は龍之介の加速を制御できなかったのだろうか。それは龍之介の天才ぶり、その演技を信じたためだろう。龍之介はつねに天才、あるいは超人の仮面をかぶり続け、いわば道化を演じ続けねばならなかった。

関口氏の年譜を読んで、龍之介がこれだけ短い時間にあれほど膨大な数の短編小説をよく生み出したと感心する。だが、それには身を削る“背伸び”があったのだろう。

晩年、不眠症になやむ龍之介は睡眠薬に依存し、痩せ衰えていく。なぜ執筆活動を一時休止し、体力回復を目指さなかったのだろう。

龍之介は死に急いだ。周囲はそれを阻止できなかった。そこに悲劇がある。

龍之介はつねに強迫観念(オブセッション)にとらわれていた。それは夏目漱石の激賞から発した過度の期待だ。それが自分を追い込み、その圧力に屈し自ら命を絶った。

結果的に、漱石が龍之介を殺した、とはいえないだろうか?
(12−27−2022)


がんばれ元気  インタビュー記事

先日、小学館から声掛けを受け、
「がんばれ元気」のリバイバル版の
巻頭インタビューに協力した。

それが発刊となり、いま店頭に並んでいる。
どうぞご一覧ください。
(12−26−2022)